Home > IVY Social School > Volume 1 [Part2]


 

東日本大震災の支援活動において、ユニクロとIVYは緊密な連携関係を築いてきました。

特別講座の第二部では、なぜユニクロが東北の一NGOであるIVYと協働するに至ったのか、NGOとのCSRにはどんなメリットがあるのか、ユニクロの企業戦略においてCSRはどのような位置づけにあるのかを、シェルバさんとIVY安達事務局長との対談を通して探りました。

 

また、企業とNGO/NPOが求めるものの違い、連携における課題や、より良い協働のためのポイントについて探り、これからの新しいパートナーシップの形について、参加者とともに考えを深めました。

→第1部:講演へ

IVY Social School Volume1 『企業とNGOの進化するパートナーシップ』

日 時:2012年1215日(土)1830-2030

会 場:エル・パーク仙台 セミナーホール

参加者:52名

ゲスト:シェルバ 英子氏

株式会社ユニクロCSR部ソーシャルイノベーションチームリーダ

 

大学卒業後、外資系アパレルを経て、2001年、株式会社ファーストリテイリング入社。
以来、社会貢献活動を担当し、全商品リサイクル活動をはじめとする国内外の社会貢献活動を推進
2006年、立教大学大学院21世紀社会デザイン学科卒業。2010年からはユニクロ ソーシャルビジネス バングラディッシュリミテッド プランニング・コミュニケーションも兼任。

対談者:安達 三千代 (認定NPO法人IVY事務局長)

93年からIVYの活動に携わり、99年4月から現職。(特活)国際協力NGOセンター(JANIC)理事,外務省NGO相談員。大学での講師多数。東日本大震災の発生後、被害の少なかった山形を拠点に緊急支援を開始、国際協力の経験とノウハウを活かし刻々と変わる現地のニーズに合致した支援を行っている。


聞き手:堀野 正浩 (IVYみやぎ/IVY理事)

堀野:ユニクロとIVYの連携がどのように始まったのか、改めてお聞きしたいと思います。震災当時のことを,振り返ってもらえますか?

 

安達:IVYは3月14日に支援を表明し、活動を開始しました。避難所への物資支援から始めたわけですが、被害が甚大で、支援要請の数がどんどん増えていく。物資の調達は、IVYユース(IVYのユース組織)が自転車で山形市内のお店を回って買い集めていたのですが、必要な物資の数が数千個単位になっていき買い物では対応しきれなくなった。

 

これは製造元に直接頼むしかないということで、事務所に集まったボランティアがコールセンターのように企業に電話を掛けまくりました。缶詰だったりガスボンベだったり、思いつく会社にとにかく電話しました。しかし「物資はもう政府に提供しましたから」という回答がほとんど。ユニクロにも電話窓口で弾かれてしまいました。

 

シェルバ:ユニクロもすでに各地の自治体に連絡し、物資の納品日まで決めていた段階でした。でも自治体も混乱していて、納品場所の指示が来ない。とにかく物資を東北に届けなければならない。そこでJICAに無理にお願いして、福島の二本松にある体育館をお借りすることにしました。私を含めた従業員6名が10トントラック6台で二本松に入り、物資を搬入するという無謀なプロジェクトです。物流のプロではないので、トラックの運転手さんとインターで落ち合って福島に向かったのですが、「え、これだけの人数でやるんですか」と驚かれてしまいました。それで福島まで何とか物資を持っていった。そして、そこから各県の倉庫に運び込みました。

 

しかし、実際に各地の倉庫まで行くと、物資が避難所へ配布されていく気配が全くありませんでした。

これでは被災した方たちに物資が届かない。

 

しかし私たち自身でやるにしても配布するネットワークがない。

そんな時に、地元で草の根的に支援を始めている方々がいることがわかった。であれば、彼らと連携していこうと。

そうして、最初に組んだのがIVYでした。

当時はIVYのことはよくわからず、山形の団体であることも後で調べて知ったぐらいです。

 

安達:ユニクロと連携することになり、まずは宮城県の大衡村の倉庫に行きました。そうしたら、パッキングされたユニクロのフリースとか、ヒートテックがうず高く積まれていて、あるところにはあるじゃないか、ここに宝が眠っていたと思いましたね。

 

当時IVYでリスト化していた避難所は140件ほどありました。それからはユニクロと手分けして配布を始めました。南三陸のベイサイドアリーナなど千人を超えるような避難所へはユニクロのトラックで運んでもらって、沿岸部の20人とか30人程度の小さなところには、私どものボランティアのトラックで運ぶとか。

 

堀野:当時は福島第一原発が非常に危うい状態でしたが、ユニクロは社員の方がすぐに福島に入られたわけですよね。そういう判断はどのようにされたのですか?

 

フットワークの軽いNGOですら、あの当時は福島に人を送るかどうかは躊躇する部分があり、直後の東北入りは判断が難しかったと聞いています。

 

シェルバ:震災の前から,最後の一着まできちんと届ける、現場はしっかり見るという方針があったので、トップの柳井も含めて、当然社員が直接届けるべきだろうという経営判断がありました。

 

他社さんだと、行きたかったけど会社の許可が下りなかった,という話は聞きますね。チャレンジングなのかフレキシブルなのか、それとも何も考えていないのか(笑)、私たちにはそういう部分があります。

 

堀野:IVYは全国的に見れば小さなNGOですし、知名度もそれほど高くない。そのような団体とユニクロが組んでいる。2012年4月からは3年間のプロジェクトを一緒にやっていくことが決まって、非常に驚きました。どのようにしてそこまでの信頼関係が築かれたのか教えてください。

 

シェルバ:IVYがほかの団体さんと違ったのは、物を届ける緊急フェーズの頃から自立支援に着目していたこと。かなり早い段階で「キャッシュ・フォー・ワーク」を始めたことを高く評価していて、支援に値する団体だと判断しました。

 

安達:「キャッシュ・フォー・ワーク」というのは、震災で失業されている方や、地域の復興のために役立ちたいと思っている被災した方たちを、寄付金を原資に雇用して、がれき撤去などの活動をしてもらうプロジェクトです。日銭を払っていく仕組みなのですが、震災後1ヶ月の4月12日から石巻から開始しました。当時は5月末には資金切れの見込みで、本当に緊急的な事業として考えていました。

 

そこに5月1日にシェルバさんから電話がかかってきて「安達さん、それの提案書をすぐにくれる?上に見せるから、企画書と収支計算書、予算書をすぐ作れる?」と。ちょうど海外のドナー用に作っていた書類があったので「英語でもいいですか?」と言ったら、OKだと。それですぐにメールで送ったたら、上に取り次いで頂けたのですよね。

 

シェルバ:そうです。震災当初からの連携実績があったので、すぐに意思決定が出来ました。5月6月の時点で2千万円の支援を決めました。

 

安達:事業をやるには、資金の裏付けがないと計画が立てられない。なので、資金支援をスピーディに表明してくださるのは助かります。ユニクロの他にも、いろいろなドナーさんが支援を表明してくれたおかげで、翌年の3月31日まで続けられるかなという感触が持てた。最終的に350日間、無事事業を継続することが出来ました。即断即決で、支援までのスピードが早いというのは、パートナーとして心強い。

 

堀野:私も当時,「雇用創出」をやると聞いて、ちょっと無謀じゃないか、出来るのかなと思いました。雇用にはとにかくお金がかかる。原資となるお金をどれだけ集められるのか,IVYの理事会でもかなり議論になりました。事業を始めた時は、正直見切り発車だった。それがユニクロなどの支援のおかげで最終的には1年間続けることが出来ました。

 

IVYは、これまでODAや自治体などの資金を使って事業をすることが多かったわけですが、震災支援事業では企業から多くの資金をもらっています。公的資金と企業から受ける資金との違いをどう考えていますか?

 

安達:本音を言えば、私たちは活動だけに集中したいのです。お金をもらったからには、報告義務があるのは覚悟の上なのですが、最近は説明責任が非常に問われるようになってきて報告作業にとにかく時間がかかる。

政府系ドナーへの報告には、多くの時間とエネルギーを割く必要があるのが悩みです。

 

途上国支援事業の話ですが、現地でかかった2円、3円のコピー代についても、その領収書のオリジナルを日本に送付して、台紙に貼ってドナーに提出します。その作業にかかるコストの方コピー代より高い。そんな矛盾もあります。

 

また、年中ドナーを「お参り」して、資金を出してもらう大変さがあります。補助金・助成金の情報収集、申請・審査の手続き、担当者とのやりとり・・・。これらを「調達コスト」と呼んでいますが、これを出来るだけ抑えて効率的に資金を集めたい。

 

グローバル企業からいただく資金の場合、このようなコストが総じて低いと感じています。